ぴろさん
諸事情がありまして、入院しておりました。知らない間に話題もいろいろで、浦島状態です。お返事しなかった翁さん、ごめんなさい。
>米国ではLo meinというスペリングのようですが、発音はどんな感じですか。ローミン? ローメイン?
ローメイン(ミェン)に近いです。
>念のための確認なんですが、「米式(美式)炸醤麺の特徴は<撈麺>」だとして、この場合の「撈麺」は調理法ではなくて麺の種類のことですよね。炸醤は北京系、山東・韓国系、南方系のいずれもあるが、麺は「撈麺」で共通している、それが米式だ、という感じなんでしょうか?
そのような解釈で、よろしいかと思います。
入院している間に、北京から乾麺タイプのインスタント炸醤面を入手しまして、そのうち報告させていただきます。
POPEYE立ち読みしてきました(HANAKOは見つからず)。
冷麺も出てましたね。しかし・・・・
「コシのある極細麺の盛岡冷麺が誕生したわけだ」。
私も、いろんな店で様々な冷麺を食べましたが、それらと比較して唯一、
盛岡の冷麺の特徴として挙げられるのは、麺が極太な点のみ。
筆者は盛岡で冷麺を食べたことがあるのか?
雑誌にも、読者欄にその号への投書がリアルタイムで掲載されるような
仕組みを作れば、あまりいい加減なことは書けなくなるんでしょうね
(インターネット上の情報のように)。
住めば中国「究極のご馳走」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ailiao/japan/yomimono/sumechu/kyukyoku.htm
現在の中国では、冷面といえば平壌冷麺等の朝鮮半島の冷麺を差すのでしょうか?
マレーシア、中国東北地方の料理が食べられるレストラン(翁さん報告済みかな?
http://www.junmas.com/dining/dongbei/dongbei05-2001.html
POPEYE 637号は夏ラーメンを特集、前に報告した田燕居のかんすいの入っていない麺を使った冷麺が紹介されています(用賀店のものだが、白金台店のも同じ)。
HANAKO 696号には中国遼菜府が登場、麺を「拉」している写真も載っています。
チャーリーロンさん
やはり私としては炸醤麺の具としての「麺碼」が気になります。
200年ほど前は、もやし1種類だったということなんですね?
私の手元の資料(日本の本ですが)には、明治以降のことしか書いていないので、
まったくわからないのですが、炸醤麺はどこから来たのでしょう?
神荻さんから頂いた山東省と炸醤麺についての文章(下記)を読て「おやっ?}と思った
のですが、西域のシルクロードから、小麦の麺條が伝来したと書いておられます。
石毛直道氏の本に、ウルムチには麺が西から伝えられたという伝説があることが紹介されています
(石毛氏は中国から西に伝わったとしていますが)。
中国の人々は西から伝わったという説のほうを採っているのでしょうか?
そして中国では炸醤麺がどこから来たと言われているのでしょう?
スパゲティーミートソースとの関係は??
K.F.C.さん、これまたいわゆる一つのフュージョンですね。きっとピリ辛でうまいでしょうね。
なんか四川料理店の炸醤麺も(できれば本場四川式にうどんのような白い麺で)食べてみたくなってきました(前から気になっている四川一貫↓)。http://www.mac.co.jp/users/ina/eat/shisen-ikkan/eat/19990513
そうてつグループの相鉄瓦版が「特集 中華ばんざい!」を掲載。アーティさんの「わたしが北京の家庭料理にこだわるわけ」もあります。
龍さん:好!!
>日本は味付けの支那竹をこう呼んでます。
>あるHPにはメンマ「麺媽」と書いて中国語という風に紹介されていますが中国人はこの漢字表記の意味を知りません。また中国のラーメンに日本で呼ばれるメンマという具材は有りません。メンマは日本人のラーメンの具材として生まれたもので中国のものではありません。
=その通り。実は、故事があります。戦後、台湾の貿易商、郭さんが居ました。台湾から筍を積んで、日本に輸入した。所で、ある日、輸送中に10コンテナーの筍が酸っぱくなり、使えなくなった。保険屋を呼んで、求償をした。保険屋は、酸っぱくなった筍を嫌がり、郭さんに捨てるように言った。郭さんは、何か捨てるのは神様に怒られると思い、これを原料にして、塩をもみ、炒めたり、ラーメンに置いたり、使い道を開発した。これが、当時の中華業務筋に安く売って、大当たりした!何しろ、元は只だから。
ちなみに、元祖の郭さんは、中華の有名な業務食品の会社:丸松の創業社長。郭さんが亡くなられて、息子兄弟は親不孝で喧嘩し、滑ロ松はお兄さんが経営して、不振で日商岩井に吸われた。丸松鰍ヘ弟さんが経営して、兄弟喧嘩で共倒れ、トーメンに吸われた。両者の共通点はメンマ。今でも、メンマと言えば、丸松。ファンが多い。
華僑の僕から見ると、珍しい悲劇の一家でした。悲しい!
>炸醤麺の具材の野菜類を現代中国では「菜碼」(ツァイマ)と呼びます。もともと200年ほど前、この「菜碼」は「麺碼」(ミェンマ)と呼ばれていました。昔「麺碼」はもやし1種類を指していました。しかし現在炸醤麺の「麺碼」は白菜・ほうれん草・ニンジン・大根・きゅうり・セロリ・青葱・大豆・もやしなど多彩です。もしかすると麺を食べる際にその上に盛り付けられる具材である野菜の総称「麺碼」から派生したのではないでしょうか。どなたかこの説を唱えている方はいませんか?
=なるほどね!当時、郭さんがメンマと名付けたそうですが、郭さんの頭に菜マがあるかもしれない。今度、息子さんの郭さんに聞いて見ます。彼は今、華僑総会の副会頭を担当している。
謎を解いて見たい。神荻より
じゃあ、韓国で売られている四川チャジャン麺。
どこの料理だかわけわからん一品です。
チャジャンミョンにラー油をかけたピリ辛味が人気です。
むさむささん、ごぶさたしています。
冷麺の麺に炸醤ですと、こりゃまたすごい。
(前にも投稿したかも知れませんが)盛岡・戸田久が「新開発」したという
ビビン麺(韓国風ジャージャー麺)というのもわけのわからん一品です。
昨日近所のローソンで横山製麺(八ちゃんブランド)の
『韓国炸醤麺』というカップ麺を発見しました。皆さんローソンへGo!(笑)
下記にパッケージの画像あります。
http://members.jcom.home.ne.jp/bigramen/fileyy0017.htm
まだ食べてないのですが、パッケージには“冷麺の麺に炸醤”、とか説明があって、
“チャジャンミョン”ではないのかもしれません。
ジミーさん
人民日報の記事読みました。彼もやはりメンマの音が表すものから
この発想をしていますね。ただ「菜碼」に言及していないのが気になります。
何故なら「麺碼」の意味を若い中国人に聞いて10人中7人が知らないのですから。
また飽く迄ももともとが「炸醤麺」の具材であったもやしを指していたことも
書いて欲しかったですね。
「熱湯麺」という言い方を現代の北方の人はしません。なぜなら「湯」は熱いものですから。
龍
チャーリーさん
「麺媽」の由来については情報を持っていませんが、
このキーワードで検索したところ面白い記事を見つけました。
「人民中国」の「めん文化を比較すれば」
です。
「熱湯麺」というのは初めて聞きました。
「CHAi」炸醤麺特集、期待しています。
雑誌「Memo」の冷麺特集
立ち読みしました。
冷麺に平壌冷麺と咸興冷麺があることを紹介しているのは合格。
盛岡・食道園で、当初蕎麦入りの麺を出したら、その色が
(蕎麦好きなはずの)盛岡人に不評だったという、不思議な定説に
それなりの解答を出しているのは感心。
しかし食道園の創業者が咸興出身であることは取材できなかったのか?
また、咸興は朝鮮半島南部ではなく、平壌よりも北にあるはず。
お忙しい中、東京炸醤麺情報の最新版↓、アップして下さりありがとうございました。
神田・味坊の特注白い麺(辛くてめちゃうまでした)についても報告してますので、皆さん、見て頂ければ幸いです。
GiGiさんの懇切な説明で、陳彦行に興味を抱かれた方も多いことでしょう。
以下にあります(「影集」)。
GiGiさん、写真拝見しましたヨ(ジミーさんもご苦労様です)。
渋谷・池記で食べた香港式炸醤麺もスープ(というかエビ味のミネストローネ)入りでしたし、西安刀削麺チェーンのも汁入り(こちらは塩味、透明)でした。炸醤さえ載っていれば炸醤麺ということなんでしょうね。
北京から離れれば離れるほどバリエーションが出てくる、という気もします。
ジミーさん
チャーリーハウス・査理之家のほうにもリンクしました。
取り敢えずご報告まで。
日本では味付けの支那竹をこう呼んでます。
あるHPにはメンマ「麺媽」と書いて中国語という風に紹介されていますが中国人はこの漢字表記の意味を知りません。(麺のお母さんと単純に訳してくれました。)また中国のラーメンに日本で呼ばれるメンマという具材は有りません。メンマは日本人のラーメンの具材として生まれたもので中国のものではありません。
炸醤麺の具材の野菜類を現代中国では「菜碼」(ツァイマ)と呼びます。もともと200年ほど前、この「菜碼」は「麺碼」(ミェンマ)と呼ばれていました。昔「麺碼」はもやし1種類を指していました。しかし現在炸醤麺の「麺碼」は白菜・ほうれん草・ニンジン・大根・きゅうり・セロリ・青葱・大豆・もやしなど多彩です。もしかすると麺を食べる際にその上に盛り付けられる具材である野菜の総称「麺碼」から派生したのではないでしょうか。どなたかこの説を唱えている方はいませんか?
翁さん、ジミーさん、ありがとうございます。
陳彦行は、大変胸の大きい人気テレビ女優です。(川島なおみ風も、同じくテレビ女優です)
どうりで、テレビドラマの宣伝飾りが、天井から下がってたわけですね。
愉快なウェイターのおじさんも、おしゃれに染め分けた髪をディップで立てて、ピアスしてました。コメディアンみたいな感じだったから、元俳優だったのかなー。
ところで、写真、どう見てもやっぱり炸醤麺じゃないですよね。
GiGiさんから、香港の雲南料理店の炸醤麺画像が届きました。
なるほど。両手で持つのは韓国人だけということになりそうですね。
韓国にはビビンバをはじめ混ぜて食べるものが多いのですが、
そのほとんどはスプーンで混ぜる食べ物です。
炸醤麺を始めチャンポンなどの麺料理のみ箸でかき混ぜるのですが、
その混ぜる文化がいつから登場したのか。これも興味深いテーマです。
K.F.C.さんが前に提起された質問への回答です。
2人の北京人からは「箸は片手で持つ。両手でばらばらに持ってかき混ぜることはない」との証言を得ました。
油酥餃ではありませんでしたが、「酥餃」というのを新大久保の中国料理店(台湾だったか、とにかく非北方系)店頭でちらっと見たことがあります。餡はわかりませんが外見はジミーさんが十条・楊で食べられた餃子パイそのものでしたよ。http://isweb38.infoseek.co.jp/photo/geminizz/sui/jboard020410.htm
東横線大倉山駅(横浜市港北区)近くの中華料理店。中国帰国者支援ホームページに帰国者の店として紹介されていました。ホームページを見る限り良心的なお店のようです。旧満州関係者かどうかは不明です。ちなみに渋谷のあるお店で「自分の親戚は福建省福清市高山鎮出身であるが、そこにはまだ帰れないでいる日本人がけっこういる」という話を聞いて「へえー、そんなことがあるのか」と思い、検索をかけてみたところ帰国者支援ホームページに行き着きました。
旧満州からの引き揚げ邦人によるラーメンの思い出。悲しい話です。
Memoなる雑誌が冷麺特集。コンビニで見かけました。盛岡冷麺も数ページを割いていましたよ。http://www.monomagazine.com/monoonline/scripts/pub/magazine2.asp?pub%5Fid=610208&kubun%5Fcd=a10
雑誌「CHAi」を購入いただきましてありがとうございます。
本来ならば写真も当方から提供したかったのですが、時間の都合もあり、
写真は雑誌編集会社の中国人のカメラマンが撮って来た物を使っています。
次回機会が有りましたら違った形で炸醤麺特集みたいなものを企画したいと
話してみます。
最近ちょっと皆さんとは違う方向へ関心が行ってしまってます(重兵衛さんの目安箱)。
私はHPを始めた当初から、盛岡の白龍のように戦後、北京と同様白い麺を使う店が
全国各地に出来たはずだと思っていました。しかし、ここ数年の調査活動を通じて
判明したのは神戸・ぎょうざ苑のみ。しかもそのぎょうざ苑の三代目は、
こんな証言をしているのです。
わたしは三代目の勘違いと思っていましたが、再検証してみようと思います。
以前吉林省出身の女性から「油が高価だから、餃子は焼かずに水で茹でる」という話を聞いた時、
それはないだろうと思いましたが、その後なにかの本で、食料を配給が充分でなかった時代、
貴重な油は料理には使わずにそのまま舐めたという話を読んだりすると、まんざら彼女の話も
嘘ではないなと思ったりします。
GiGiさんが行かれた香港の彩雲南(Yunnan Rainbow)。なかなか洒落た感じですね。
と思っていたら、母親が雲南人という陳彦行(Joyce Chan。実は初めて知ったが香港の映画スターだそうである)がやっていると書いてある(ような)。こちらからめくっていくとご報告の通りキノコ料理がいっぱいでてきます。
陳彦行自身による紹介はこちらとこちらにも。(どうでもいいことだが、同じシリーズには川島なお美風に婉然とほほえむ姐姐も登場)。
雲南料理店で炸醤麺にチャレンジして下さったGiGiさんに感謝です。
この本は、通勤電車の中で立って読んでもなかなか理解できません。
大きなメモ紙を用意して、出てくる難しい漢字を書き写しながら、じっくり時間をかけて
読み直さなければと思っています。
昭和20年(1945年)に発表された「饂飩の歴史」には、
「今の餃子は水餃子即ち水煮したもの、および油酥餃即ち油で揚げたものの二種行われていて、
蒸したものを未だ見聞しないが、恐らくこの古風も存しているであろう」
とあります。
ネット上で見つけた資料によると、
2000年の中国在留邦人数は46090人(http://www.pref.shizuoka.jp/syoukou/syo-119/china/data_window/data_window_keizai.htm)。
ところが終戦時の満州には155万人もの日本人がいたんですね (出典[外務省]-『満洲開拓史』)。
日本の料亭もあったそうですから、現在の中国東北地方と当時の満州では相当事情が異なる
と思います。
『華国風味』に「炸醤麺」は出てきませんでした。餃子については色々興味深いことが書いてありますが、
もう一度読み直してから知らせします。
ジミーさん
>「陽春麺」とラーメンの違い
私もよくわかっていません。ただし日本の一般的な「ラーメン」「中華めん」に比べると、そうめんのようなのどごしでした(細いから当然か)。
>全蛋麺
これはタマゴだけを使うものと、かんすいを少量使うものの両方があるようですね。今、白金台・田燕居のランチタイムでは前者のタイプの平打ち麺を使用した冷麺が食べられます(伴麺。具はトマト・タマゴ、ザーサイ・挽肉など数種類あり)。孫成順シェフがテキスト等で炸醤麺の麺として使う「中華卵麺」も前者のタイプです。アーティさんといい、孫さんといい、北京育ちとしてはかんすい入りの麺は使いたくない、しかし日本人は「黄色い中華めん」が好き、で妥協策としてタマゴ入りかんすいなしの麺を使っているのでは、という感じもします。
>明治40年
びっくりしたのは、明治40年段階で「炸醤麺」がレシピとして登場していることです。それで思い出しましたが、青木正児(あおきまさる)の『華国風味』(岩波文庫、'84年) をジミーさんは参考文献として挙げられています。戦前の北京を熟知した青木先生は、炸醤麺や餃子について書き残していないのでしょうか?
>満州の日本人社会で、すでに中華麺の炸醤麺も誕生していた??
これはどうでしょうか? 東北出身料理店主(複数)から「日本のラーメンのような麺(中華めん)はない」との証言を得ております。体験的にも馬賊や中国遼菜府の手打ち麺は、たとえかんすいを使用しているにせよ、のんほおの陽春麺や中華めんとはまったく別系統といってよろしいのでは、と思います。
ぴろさん
>撈麺
米国ではLo meinというスペリングのようですが、発音はどんな感じですか。ローミン? ローメイン?
念のための確認なんですが、「米式(美式)炸醤麺の特徴は<撈麺>」だとして、この場合の「撈麺」は調理法ではなくて麺の種類のことですよね。炸醤は北京系、山東・韓国系、南方系のいずれもあるが、麺は「撈麺」で共通している、それが米式だ、という感じなんでしょうか?
デパチカドットコム・花形食堂研究所の老北京炸醤麺レポート。炸醤麺は「日本では今ひとつ人気のない中国麺料理」なんだそうですが、普通の日本人(本当はプロらしい)が北京式と初めて出会ったときの混乱と感動がよくわかるレポートなので紹介します。
ぴろ中村さんから送られてきました。
何人向けでしょうか?
日本の家庭に応用したる支那料理法をキーワードに見つけました。
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/LecRep/01/IntroHum/gyoza.htm
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/LecRep/01/IntroHum/men.htm
私の所期の目的は、自分の食べなれた水餃子と白い麺の炸醤麺を日本に普及すること。
ですから、その目的に合わない情報を積極的に取り上げることはしませんでしたが、
5月に帰省した際父に確認してきた話を明かしましょう(以前にも書いたかな?)。
実は盛岡・白龍の高階さんが最初に始めた屋台では、水餃子ではなく、焼き餃子を売っていた
というのです。
ウーさんの本を見せてしつこく追求したのですが、父が北京で見た「ぶたまん」は
鍋貼のような形だが、高階さんの屋台の餃子は、今日本で売ってるような餃子の形をした焼き餃子
だったと言うのです(60数個も食べたと自慢しておりました・・)。
戦後日本で焼き餃子が主流になった理由はいくつかの説がありますが、満州の日本人社会では
既に焼き餃子が主流だったのではないかという可能性も考えられます。
となると、満州の日本人社会で、すでに中華麺の炸醤麺も誕生していた??
http://www.nemoto.ecei.tohoku.ac.jp/info/jaja.html
http://osaka.yomiuri.co.jp/town/aji/2001/aji010602.htm
おー、カウンターが3万を超えましたね。ジミーさん、おめでとうございます。
PS 「分類」「めん」、ほんとに難しい。考えをまとめてまた書かせて頂きます。