もともと冷麺は北の料理であり、平壌式と咸興式に大別されます。平壌式とは牛肉でとった澄んだスープに麺を入れた冷麺のこと。また咸興式はスープを入れず、辛いタレをかけ混ぜてたべる冷麺のことです。
写真を見て調べてみたところ咸興式の冷麺にはスープを入れる場合もあるようです。僕は今までこのタイプの冷麺に出会ったことがなかったので不思議に思ったのですが、実際にはそうでもないようです。また釜山など南の地域では平壌式の冷麺にコチュジャンを入れる(通常は酢とカラシ)という話も聞いたことがあります。これらはむしろ複合系と言ってもいいかもしれません。
ただこの複合系のみを出す店というのは珍しいかと思います。朝鮮族の文化でこの複合系が多く採用されているのであれば、これは実に面白い問題です。少なくとも韓国(ソウル)では平壌式と咸興式を分けるのが一般的です。高級冷麺と一般冷麺のどちらもが赤いというのは、やはり何か独特の発展をしているのかもしれませんね。もう少し勉強してみたいテーマです。
>韓国、中国、羊好きの皆さん
コアな本を見つけました。金文京ほか訳『老吃大』東洋文庫699(平凡社、2002年)。高麗〜李朝時代の中国語テキストで「地球の歩き方――元(明)編」みたいな使われ方をしたようです。
わしら高麗人は湿麺は食べ慣れていないから…わしら四人で一両半の羊の肉を炒めて、二両分の焼餅をくれ。
というような会話例(元〜明時代の中国語)が満載されています。わしら高麗人は肉の焼き方を知らないから焼いてくれ、という焼肉伝来前を想像させるセリフもありました(残念ながら炸醤麺とおぼしき麺は登場しませんでした)。なお「吃大」はCathayと同じ意味だそうです。
一般と高級の両方注文しましたが、どちらもです。
テーブルに運ばれてきた段階では黄色がかったスープですが、麺と具の間に辛い醤が隠れてて、
箸でかき混ぜるとスープは真っ赤。東莞の韓国料理店の冷麺も同様でした(下記参照)。
韓国国内の冷麺と違いがあるのなら、それが中国で変化したからなのか、それとも本来の
朝鮮半島北部の特徴を朝鮮族のほうが保持してるのか?
K・F・Cさんの検証を期待します(狗肉もありましたよ・・・)。
冷麺のスープが真っ赤ですか?それはまた珍しい。
赤いタレ状の調味料を混ぜ込んで食べるピビン冷麺はよく食べますが、赤いスープは見たことがありません。
高級冷麺のほうだったのでしょうか?
それとも一般冷麺のほうだったのでしょうか?
教えてください。
店の外に日本語の看板は出ていますが、エレベーターで4階に上がりると、目の前にまるで
クラブのような木の扉。漢字の店名も無し。意を決して中に入ると航空会社のラウンジの
ような落ち着いた店内。横には中国語とハングルの新聞、雑誌が積み重ねてありました。
われわれが入った時には3グループの先客がいましたが、みな中国語を話していたようです。
しばらくすると、なんと若い日本人女性3人組が入ってきました。聞き耳を立てていると、
ジャージャー麺がどうしたこうした言っているのです。どうも中の一人が韓国人だったようです。
あ、日曜食べた真っ赤なスープの麺は冷麺でした。
8月20日(火)20時過ぎ、NHK教育チャンネルでウーウェンさんのジャージャーめんが再放送されますよ(夏のアンコール放送の一環として)。
ジャジャン麺売り切れとは残念でした。そんなに売れ行きがよいとは。主たる客層は韓国人なんでしょうか? それとも延辺朝鮮族?
目新しいのは、小瀬川了平さんの回想ぐらいですね。
青木さんの改良というよりも客のほうが慣れたってことでしょう。
さて日曜夜、延吉屋という面白い店に行ってきました。
デジカメとパソコンを繋ぐケーブルが無いので今夜は名刺の紹介のみ。
経営者とおもわれる女性は、中国吉林省延辺の出身で高校大学と韓国に学び5、6年前に
来日したとのこと。韓国の業者に35万円払ったというメニューには、
延辺特産として水餃子、高級冷麺、一般冷麺。ジャジャン麺は韓国料理の粉食類
に分類されていました。ジャジャン麺の麺は手述べで、用意したぶんが無くなった
ので本日終了とのこと。スープは真っ赤で辛い。麺は韓国からの輸入品。東莞市の
高麗城で食べたものにそっくりでした。
営業時間は午前11時30分から翌午前6時まで。
韓国、中国、羊好きの皆さん、是非行ってみてください。
盛岡冷麺を掲載。 どこまで真に迫れているでしょうか?
ぽんずさん
お久しぶりです。これからも現在の北京の生の情報をお知らせください。
ところで今、店で人気の「具」は何でしょうか(家庭では白菜、豚肉ですよね)?
至るところで韓国人
出張先の東莞の工場でお世話になった資材の金さんは、黒龍江省から来た朝鮮族。
でも、夜飲み食いに行くのは、技術者の韓国人達のほうとばかり。
今日もユンソナさん発見。よくテレビに出ていますね。
今日の日本テレビ「メレンゲ」では、浅草セキネの肉まんを食べていました。
「日本のたべたことないですね」
「(韓国にも)あるけど、こういう味じゃないんで・・」
「おししいっ!」
続いてチェン ミンさん登場
「日本人が二胡を胡弓と呼ぶので、胡弓奏者と名乗っていましたが、
胡弓が日本の楽器を指すことがわかってからは、中国同様に二胡と
はっきり言うようになりました」のだそうです。
(関連情報:にこにこ通信)
おっと今度は、テレビ朝日。ほんじょうまなみが上海にいます。
やきまんじゅうを食べています。この小龍包を焼いたようなやつは、先週行った
武蔵小山の「上海家」でも勧められました。いつも客が少ないこの店。
話の流れで今月中に「六月黄」を食べに行くことになりました。
(関連情報:ハロハロクラブ)
麻雀の歴史
牌やルールのような証拠品が残ってて良いですね。
しかし食べ物は残らない(餃子の化石はあるようですが・・・)。
このスイカの歴史も面白いですよ。
やはり色や模様が重要。
満州や戦後の闇市で、炸醤麺を食べている写真なんてないかな?
ぽんずさん
へー、お店でもいろんな具があるんですね。なかでもセロリ、美味しそうです。
ジミーさん
>煙台の食堂で炸醤麺。ハングル看板と蓬莱閣
私からすればうらやましい限りの体験をされている人もいるんですねぇ〜。それにしても至る所で韓国人と出会ってしまう時代なんですね。
以前、北京でおいしい餃子店は?
という質問が気になっていたのですが、
こちらでは、具によって餃子を注文することは皆さんご存知でしょうか?
三鮮、白菜などは普通ですが、
セロリ、ニンジン、小白菜(これは中国語)はうちでも人気です。
それからそれから……
中国の餃子のお店では「どんな具の餃子をどれぐらい」と注文するのが普通だよなぁと
ふと思ったので……
おせっかいの老婆心からの書き込みでした。
ジミーさん
もしかして「井上紅梅」にぶっつきあたりませんでしたか? 戦前の昭和、上海に住み、麻雀など中国の文化・風俗について日本語で発信していた男だそうです。
自著の前書きで「麻雀、阿片、開堂子といった支那人の悪習に、日本人が染まらないよう警告の意味でこの本を書いた」的なこと(正確な引用に非ず)を記しつつも、それらに相当の投資をしていなければ知り得ない、ディープな内容を書き連ねています。
今日なら差別主義者として糾弾を免れ得ないような内容も多いです。例えば「三鮮」という名のついた料理には、三種類の具が入っていなければならないが「放っておくと支那の給仕は残飯を材料に入れ込んでくるので、よく注意する必要がある」といった具合です。
著作の一部はうみうし社から『中華萬華鏡』として1993年に復刊されています。残念ながら炸醤麺とおぼしきものは出てきませんでしたが…。
naoさん
私が3年前に北京の北部「五洲大飯店・一応★★★★★」に泊まったときも、込み入った料金のトラブルがありまして、英語がほとんど通じませんでした。結局、妹の旦那(中国人)に助けてもらいました。そこは前のオリンピックに立候補した際に建てられ、私が行ったときは何だか寂れた感じだったけど、今度は実際に行われるわけで、今はそんなこと無いと思います。北京市自体がオリンピックを意識して、英語にかなり力を入れているみたいですね。その流れは地方としにも影響しているのだと思います。
「クレージー・イングリッシュ」という中国映画があります。まだ見たことはありませんが、あらすじだけ聞いたところによると、中国人の英語に対する考え方の一部が垣間見られると思います。
私は英語の(亜流の?)本場、アメリカにいますが、中国人は概して、英語を耳にして口に出す、という回路が発達しているような気がします。書かせるととんでもない文章だったり、単語もあんまり知らなくても、結構ペラペラ話す人が多いです。日本人はまったくその逆ですね。
ご無事で何よりです。ホテルの英語力の話、中国の経済発展の速度を垣間見るようで面白かったです。お仕事がんばって下さい。
Jubeiさん
>盛岡・馬賊
なぜここに韓国式があるのか? その由来をぜひ調べてきて下さい。板刀麺、というのも気になります。
白金のんほお
夜や土日の営業がなくなってました。当面、月、火、木、金の昼時だけ営業するそうです(秋には夜などの営業も復活する予定)。池袋餃子スタジアムの仕事が忙しくなったからだそうです。そんな融通無碍なことで、せっかく得つつあった地元民の愛顧を失いはしないだろうか、と心配になりました。
仕事は多忙、そして進まない。
会社へのレポートも要作成。
遊びの話は、週末になりそうです。
中国語会話は、全くわかりません。
英語と日本語で何とかしのいでいます。
煙台で泊っているホテル(万華賓館)は、英語が何とか通じます。
4月に来たとき:フロントに英語を使える人が一人もいなかった。
英語の出来る人を呼んで、何とかなりました。
少し、苦情を言いました。
6月にきたとき;フロントの女性3名がすべて、英語を話す人に変わっていました。
まさか、私の苦情のせいではないと思いますが。
7月にきたとき:フロントの女性は前と同じく英語を話します。
そして、毎朝の従業員朝礼のあとに、週3回の英語授業(1時間)が始まっ ていました。
そして、ほとんどすべての従業員(接客のひと、20人くらい)がすべて、カ タコト的英語を使っていました。−−−驚きました。
また連絡します。
最近時間がなくてあまり書けません・・
煙台の食堂で炸醤麺。ハングル看板と蓬莱閣(下記)。
ネットもしっかり使えているようですね。
無事、煙台に到着。
仕事を開始。
午後6時いまようやく1日の仕事を終えたところ。
食事の半分注文は、問題ないようです。(ホテルの調理場に言って1/2サイズを注文)
今日はこれまで。
あ、もう着いてますね。
時間ができたら(炸醤麺の話題に限らず)そちらの状況をお知らせください。