炸醤麺と水餃子掲示板 Lite〜2006年10月7日


>画像は無いですか?  投稿者:lily  投稿日:10月 7日(土)00時03分46秒
  残念でした。m(_ _)m  

良かった!  投稿者:ジミー荒川  投稿日:10月 6日(金)00時11分7秒
  lilyさんの口に合ってよかったです。画像は無いですか?  

頂いた油麩  投稿者:lily  投稿日:10月 5日(木)12時52分0秒
  昨夜は具たくさん味噌汁に入れて(ほうとう風)、すごく美味しく頂きました。
ありがとうございました。
 

>LAZONA KAWASAKI  投稿者:ジミー荒川  投稿日:10月 3日(火)23時25分42秒
  冷麺も食べてみてください!

こちらの掲示板は低視聴率につき来週にでも終わりにします。過去ログを作ったら停止します。
 

>LAZONA KAWASAKI  投稿者:CRJ  投稿日:10月 3日(火)21時51分51秒
  今度、行ってみます。^^  

LAZONA KAWASAKI  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月30日(土)09時33分48秒
  フラガールまで時間があるので、オープンしたばかりのLAZONA KAWASAKI(ラゾー川崎)、を探検。といいっても、関心はフードコートと食品売り場のみ。「ぴょんぴょん舎オンマーキッチン」「陳麻婆豆腐」も出店しています。なんか台北やマレーシアの巨大ショッピングモールのようです。行列が長かったのはラーメン店。ここにくれば銀座店ほど待たずに冷麺が食べられます(土日の昼はわかりませんが・・・・)。
 

フラガール  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月29日(金)21時20分15秒
  これからレイトンショーです。空いてます。  

ジャガイモの想い出  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月24日(日)22時22分4秒
  我が家では、ジャガイモも入ったお煮しめは良く作っていましたが、肉じゃがという料理は作ったことがないと思います。私にとっては居酒屋のメニューという感じです。

味噌汁には良く入れていましたね。千切りの大根といっしょに具にします。でも何といっても私の好きなジャガイモ料理と言えば、コロッケとポテトサラダです。コロッケは茹でたイモをすりつぶし、味付けをした段階でつまみ食いしたり、残したものが翌朝冷たく固くなったのを食べるのも楽しみでした。

もう30年ぐらい食べていませんが、お盆の迎え火の焚き火で焼いた皮が焦げて真っ黒になったジャガイモに味塩を振りながら食べるのも格別でした。
 

カレーと肉じゃが  投稿者:Jubei  投稿日: 9月24日(日)12時55分16秒
  私も大正10年生まれの祖母(紫波町出身)に聞いたところによると,戦前でもジャガイモは植えていて,ふかして塩で食べたり,みそ汁の他,自宅でカレーを作ったときに入れていたようです。カレーは女学校時代から食べていたとのことです。
しかし,肉じゃがは戦前は食べた記憶がないとのことです。
カレーも,昭和22年生まれの父が小さいとき,肉が手に入らなくて,ちくわで代用したという話もでました。
 

じゃがいもとカレー  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月23日(土)12時59分39秒
  lilyさん、昨夜の画像はClassic のほうに貼り付けておきました。あの漢字は醸造の醸だったんですね。

CRJさん、あの晩私はジャガイモを3、4個食べましたが、鍋にはもっと入っていましたよね?僕が全部食べたのかな?

ウィキペディアのカレーライスの項見ました。確かに全国的に広まったのは戦後なんでしょうね。これもウィキペディアに書いてありますが、米食が広まったのも軍隊で白米の味を覚えた人が復員したからだという話もあるくらいですものね。でも盛岡には戦前からある程度普及していたようです。

実は夏休みに帰省した時にカレーの話題になり、大正13年(1924年)生まれの父に昔話を聞いたのです。当時我が家はカレー粉も扱う商店だったそうで、弁当にカレーを持って行くと羨ましがられたそうです。また戦前の盛岡市内のカレーのおいしい店の話も聞けました。肴町の東山堂の2階とか、今の付属中学校のある場所の南側にあった、温泉に入った後食事の出来る施設のカレーもうまかったそうです。

そういう話を覚えてる程ですから、そんなに食べる頻度は高くなかったんでしょう。今のうな丼レベルかな?
 

タン塩  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月23日(土)12時49分6秒
  考案者佐野氏の娘と孫も出てきましたが、タンは、山形を回って苦労して入手したと話されていました。この辺の話は、その時の業界の都合や、消費者の好みなど種々の状況を考えて、どういう話にしたほうが、今、店にとって得なのか、意識的でなくても、知ってる話から取捨選択して話すんでしょうね。山形も回ったんだろうし、米軍の残り材料の両方使ったんでしょうね。でもやっぱり本当の誕生のきっかけは知っておきたい。普通本人に不利な話は信憑性が高いから、米軍の残り物説を採りたいですが、田中角栄が専門学校を卒業していても小学校しか出ないで総理になったとされているように、サクセスストーリー仕立てにする場合もありますからね。

番組ではタン塩の誕生の話も出ました。叙々苑の新井社長は、昭和51年(1976年)に自分の店で初めて出したと言っていましたが、銀座の清香園の張貞子さんも自分が始めたとおしゃっています。私がタン塩に出会ったのは1980年〜84年頃東京でです。最近出来たばかりのメニューだとは知らずに、盛岡に帰省中、食道園の焼肉にタン塩が無いのを不満に思ったものです。僕も若かったなぁ。
 

>唐辛子もとり過ぎたみたい  投稿者:lily  投稿日: 9月23日(土)11時37分55秒
  荒川さん:大丈夫かしら。今日はゆっくり休んでください♪

昨夜は新四川料理や元祖上海デザートなどを食べれて良かったです。
ありがとう&お疲れ様でした。
 

ちょうど良く仙台牛タン物語  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月23日(土)10時24分20秒
  さっき起きました。昨日は焼酎を3人で開けたんですが、それも利きましたが、唐辛子もとり過ぎたみたい。夜中何度もトイレに行きました。昨夜の画像をUPする前に、今日10時55分から、「食彩の王国」は「仙台牛タン物語・達人の技」 です!  

肉じゃが  投稿者:Jubei  投稿日: 9月22日(金)23時44分54秒
  ジャガイモといえば,お袋の味の定番(あるいは彼女に作ってもらいたい料理No.1)「肉じゃが」ですが,このまえウィキペディアで調べたら,カレーライス同様,もともとは海軍料理で,戦後家庭料理として普及したとありました。
丸いちゃぶ台,肉じゃが,カレーはいずれも戦後の家庭団らんの象徴なのですね。
 

ジャガイモ  投稿者:CRJ  投稿日: 9月22日(金)23時30分15秒
  日本に来る前、嫌いでした。日本でカレーを食べるから、ジャガイモも食べれるようになりました。あの時、なぜか気が付いたら、ジャガイモはもう解けて、一つも食べませんでした。^^もしかすると、荒川さんは全部食べたの?(笑)  

牛タン  投稿者:Jubei  投稿日: 9月22日(金)11時31分39秒
  仙台の牛タンは,輸入禁止のときでもどこからか調達していました。
前より値段が上がったのですが,これはもう元には戻らないでしょう。
もともと客に出すまでに1年くらい熟成させるという話を聞いたことがあるので,輸入再開が即商品化とはならないようです。
牛タンは,現東北大教養部に駐屯していた進駐軍が捨てたものを,戦後の食糧難下で利用したという話を仙台に住んでいたときに聞きました。仙台牛タン振興会の見解がこれを否定しているというのは初めて知りました。
確かに進駐軍が牛1頭を丸ごと連れてきたということはないでしょうが,当時の冷凍・冷蔵技術からすれば,進駐軍が現地調達した肉の残りということはありうると思います。
よって,牛タンはもともと和牛が元祖ということではないでしょうか。
 

宗家ガムジャタン  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月22日(金)00時26分45秒
  先日、上海人CRJさんお気に入りの新宿「宗家ガムジャタン」に行ってきました。鍋料理というと私の苦手な具が一つや二つ入っているものですが、ガムジャタンは全部OK。最近気づいたのですが、私はジャガイモ好きなんです。小さい頃食べられる野菜は大根と葱とジャガイモだけだったという記憶があります。私はジャガイモでビタミンを補給していたのですね。

しかしジャガイモは偉い。茹でてポテトサラダになり、蒸してじゃがバターになり、揚げてフライドポテトになり、薄くスライスして揚げればポテトチップス、更には粉にして冷麺にもなる。変幻自在の食の万能選手ですね。

Lilyさん、あなたは単なる韓流スター好きではなく、韓国に2年も住んでいたことが、その夜判明しましたね。これから韓国料理探検に協力してください。
 

仙台の牛タン  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月21日(木)23時46分43秒
  そういえば輸入禁止の影響を受けたていたという牛タンはどうなったかな?東京にも仙台の牛タン店がありますが、豚肉の焼肉など牛タン以外のメニューばかりになっていました。もう牛タンメインのメニュー構成に戻っているのかな?

確か牛タンには、その発祥の経緯からアメリカ牛であるべきという話があったなと思い、検索してみました。ネット上の情報は、朝毎読の記事と全く同様に、眉につばをつけながら読まなければなりませんが・・・。

http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%2589%259B%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25B3
このウィキペディアにある
「米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている。」
「輸入物の牛タンを名物と称するには疑問の声もある。そういう指摘もあってか、地元の高級和牛牛肉である仙台牛を使った牛タン焼きの店も出てきた。」
というのは、興味深い話ですね。残り物説は、ホルモン=放るもん説のような、おもしろおかしい説が広まるという法則に当てはまるなぁと思いながらも、否定している側には、最近の盛岡の炸醤麺の麺が、その誕生には関係のない、南部小麦で作られてるという宣伝文句を思い起こさせる、本来の味よりもイメージのほうを重視する戦略が見え、私は米軍の残り物説であって欲しいなと思ったりします。
 

吉野家1号店  投稿者:Jubei  投稿日: 9月21日(木)01時11分43秒
  アメリカ産が入っていない時期も,築地の1号店だけは国産牛を使って牛丼を出していたのですが,報道によると,1号店はアメリカ牛の復活はやっていないようですね。なぜだろう。
ちなみに私は,今さら遅いと思いながらも,やっぱり恐いというのと,日本政府の弱腰外交がいやで,食べていません。
 

紅生姜の天ぷら  投稿者:赤い荒鷲  投稿日: 9月20日(水)20時59分52秒
  少し話が戻ってしまいますが
紅生姜の天ぷらは子供の頃は
見かけませんでした。
地域性がある料理なのでしょうか。
先日は、職場の仕出し弁当に入っていましたが。
 

自分も食べましたよヽ(^o^)丿  投稿者:Macchi  投稿日: 9月20日(水)20時27分16秒
  こんばんは。
自分も荒川さん同様 応援する気持ちが生じ食べにいきました。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fkanshokulife365%2F

USA産にこだわる吉野家さんとして、安全な「食」(牛肉)が輸入されるよう
民の代表として見守り活動がんばって欲しいです。



http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fkanshokulife365%2F

http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fkanshokulife365%2F

 

>心配な人  投稿者:CRJ  投稿日: 9月19日(火)23時39分40秒
  勿論食べません。だって、美味しいと思ってないから、、、  

吉野家  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月19日(火)22時41分12秒
  実は食べられなくてもそんなに不自由はありませんでしたが、応援の意味もあり並んできました。すき家は危険性をこのように主張しています。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.zensho.co.jp%2Ffspu%2F20060915.html
心配な人は食べないようにね。

私も10月8日は盛岡で法事があるので行けません。来年は青森で観ますか?
 

>吉野家  投稿者:CRJ  投稿日: 9月19日(火)00時03分15秒
  吉野家の牛丼が好きですか?  

>さがみのまつり第14回相模ねぶたカーニバル」  投稿者:CRJ  投稿日: 9月19日(火)00時02分13秒
  HPを見ました。ありがとう。日曜日は仕事で、行けないかも、、、  

吉野家都立大柿の木坂店  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月18日(月)14時31分31秒
  10分程で席に着けました。それから待つこと2、3分。やっとありつけました。牛丼大盛りです。
 

日吉吉野家  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月18日(月)11時50分15秒
  今80人の行列です。他に行きます。  

ありました!  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月18日(月)09時26分19秒
  中延ねぶた祭りは9月16日の夜だけでした。次は2008年です。
でも喜んでください。2006年10月8日に、相模原で「さがみのまつり第14回相模ねぶたカーニバル」があるそうです。下記見て。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.e-sagamihara.com%2Feventnebuta.html
中延より大掛かりのようですね。
 

>ねぶた  投稿者:CRJ  投稿日: 9月18日(月)00時13分18秒
  いつまでですか?  

燃灯祝祭  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月17日(日)15時04分7秒
  ついでに今年の4月30日に運良く居合わせたソウルの「燃灯祝祭」の山車です。
 

結構秩序良く動いていました  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月17日(日)14時59分43秒
  もう涼しいからでしょうか、狭すぎるからでしょうか。結構おとなしく行進していましたよ。

青森はねぶたで弘前はねぷたですね。中延のねぶたは福島県の長沼町(今は須賀川市長沼)で1985年から行われている長沼まつりの影響で1989年に始まり、1998年に青森県黒石市からも参加するようになったとのこと。

須賀川市のHP
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.sukagawa.fukushima.jp%2Fksukagawa%2Fgyouji%2Fnaganuma%2Fnaganuma.html
には大小のねぶたやねぷたとあります。

黒石ねぷた祭りのHP
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fneputaintugaru.web.infoseek.co.jp%2F
のタイトルにあるように黒石市ではねぷたですが、解説を読むと形はいろいろあるようです。

しかし黒石のHPは詳しい。七夕の祭りの名残だという天の川のことである「雲漢」の画像もどうぞ。
 

この人だかりで動いているんですか?  投稿者:Jubei  投稿日: 9月17日(日)11時32分8秒
  弘前の扇型のねぷたのようですね。
ちなみに弘前の人に「ねぶた」というと,ちょっとムッとした感じで,「ねぷた」と言い直されます。
 

ねぶた  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月17日(日)08時06分4秒
  ではもう一枚。
次は再来年ですよ。
是非観に行ってください。
 

>中延ねぶた祭り  投稿者:crj  投稿日: 9月17日(日)00時33分6秒
  凄いですね!初めて知りました。^^  

大和屋の紅生姜の天ぷら蕎麦  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月16日(土)22時23分27秒
  帰りに中延駅前の「大和屋」いう立ち食いそば屋さんで注文した「紅生姜の天ぷら蕎麦」。葱と千切りの紅生姜を厚く揚げてあります。衣が主で、紅生姜がアクセントになってるような、ちょっと盛岡のお好み焼きを思い出させるような味です。蕎麦は茹で麺。立ち食いならば、注文を聞くなり麺を数秒間ゆがいて、現金引き換えで出すスピードが大切。生麺は立ち食い蕎麦としては邪道でしょう。
 

中延ねぶた祭り  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月16日(土)22時08分38秒
  この夏は食べ物目当てに祭りに出没しています。今日もどこかで祭りをやっていないか、レッツエンジョイ東京
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoytokyo.jp%2F
で検索すると、「中延ねぶた祭り」というのが今夜あるらしい。

出かけてみました。アーケードいっぱいの大きさの大迫力です。なぜ中延にねぶたが?
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.nakanobu.com%2Fnews.html%23
こういうことなんだそうです。

こんなに参加者が楽しそうな祭りを見たことがありません。2年に1度一夜限りの祭りです。再来年にはどんな進化をしているのでしょうか?

商店街では玉うどん屋さんを発見。これは「炸醤麺と水餃子掲示板 Classic 」にて。
 

作り話じゃないとすると  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月16日(土)08時41分13秒
  lily さん、もう一度昔を思い出してください。私も自分が日本人であることを忘れて考えてみます。

笊に載ってる麺に液体をかけたら下から漏れそうというのは想像できますが、あの真っ黒で醤油のような、冷たくて、ものすごくしょっぱい汁に、麺を浸して食べるというのには疑問を感じることでしょう。チチハルの人は熟慮の末、汁を笊から漏れない程度に少しずつかけて和えるという結論に達したのかもしれませんね。
 

>作り話  投稿者:lily  投稿日: 9月15日(金)01時14分39秒
  ではないと思います。が、何故か笑わせた・・・

たとえ迷う時、正直に聞けばいいのに、そう思いません?!笑)
 

ざるそば  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月15日(金)00時49分0秒
  記事の切抜きがみつかりました。チチハル出身の人です。食べたのは「ざるそば」でした。「麺は白いものだと思っていたので、黒い色にまずびっくり。食べ方がわからぬまま、ざるの上からつゆをかけようとすると、あわてて制止された」とありました。これは日本人を笑わせようとした善意からの作り話かな?笊の上の麺に汁をかけたりしませんよね。

私も韓国でそば汁の使い方に迷ったことがあります。画像は安山の「三番街」といううどんととんかつの店のスパゲティです。このお盆の上のものがセットになって出てきます。蕎麦猪口のような入れ物の中身はやはりそば汁なんですよ。湯気が上げってのがわかると思いますが、濃さは掛け蕎麦の汁程度です。スープとしての飲みました。
 

>確かに  投稿者:lily  投稿日: 9月15日(金)00時09分36秒
  笊蕎麦はたとえ初めてにしてもやはりつけて食べるんですよね。^^  

確かに  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月12日(火)22時29分20秒
  新聞で、日本蕎麦を好きだという中国人が、日本で最初に盛り蕎麦を食べる時、汁を上からかけそうになって止められたと書いてあるのを読んだことがあるのです。私も以前会社の食堂で一緒に昼飯を食べた韓国人が皆汁を蕎麦にかけていたので、麺を汁につける食べ方は、日本独特の変わった食べ方なんだなと納得していましたが、よく考えてみると、蒸籠や笊に盛られた麺に汁をかける人はいないですよね。蒸籠や笊を見慣れてる中国人が液体がもれることに気が付かないはずはありません。韓国人と食べていた会社の食堂は麺を皿に盛っていました。  

>盛り蕎麦  投稿者:lily  投稿日: 9月12日(火)08時23分46秒
  日本人のように食べること>それって?笑)極普通の食べ方をしていると思うが・・・
笊蕎麦は大好きなのでよく食べますよ。^^
 

盛り蕎麦は?  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月12日(火)07時35分36秒
  ケロロ軍曹は人気者なんですね。サンダース軍曹は日本人のおじさんの間では有名人です。昔コンバットというアメリカのテレビドラマを皆観ていましたからね。中国ではやってなかったでしょうね?

lilyさんは盛り蕎麦をはじめて食べた時日本人のように食べることができましたか?中国にも過橋米線というつけ麺があるようですが・・。
 

ケロロ軍曹  投稿者:lily  投稿日: 9月11日(月)09時38分20秒
  その漫画などうちの子供はいっぱい持ってます。
毎週金曜の放送も必ず観てます、、、^^
 

>カレー南蛮そば  投稿者:lily  投稿日: 9月11日(月)09時34分29秒
  私もけっこそばやさんのカレーうどんやそばが好きですよ〜片栗粉が入ってるからなかなか冷めにくいでしょう。。。笑)  

上海の盛岡人  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月 6日(水)07時35分14秒
  今朝の朝日新聞に載っていた「上海の青い鳥」。検索してみました。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.morioka-times.com%2Fnews%2F2006%2F0604%2F09%2F06040907.htm
こちらには本人の画像もあります。頑張って欲しいな。
 

ケロロ軍曹  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 9月 3日(日)21時12分37秒
  軍曹なんて階級は今の子供、いやその親だって知らないんじゃないの?
しかし大人気であります。
 

中目黒  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月27日(日)22時28分33秒
  一人じゃ入りづらいですからね。

また中目黒に行ったら「朝松庵」でカツ丼を食べてみようと思ってます。そうそう、カレー南蛮そばは、いかにも蕎麦屋さんのカレーと書きましたが、カレーは掛け蕎麦の上にカレーがかけてあるのではなく、汁に完全に混ざった状態です。これは立ち食い蕎麦屋さんでは無いですよね。
 

>LA CHINA  投稿者:CRJ  投稿日: 8月27日(日)21時30分2秒
  入らなかったの?  

住吉神社のお祭り  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月27日(日)20時19分48秒
  東横線で帰宅途中元住吉で途中下車すると、スピーカーから流れるお囃子で騒々しい。住吉神社のほうを見ると屋台の屋根がたくさん並んでではないか。今日はお祭りだったんだ。そういえばこの駅、なんで元がつくんだろう?

ずいぶん屋台が多い。お好み焼きは広島風と書かれた店が3、4軒。境内に1軒だけ何何風ではないお好み焼き屋台をみつけた。やはり重ね焼きである。具も紅生姜、キャベツ、削り節の粉、生卵といったシンプルなもの。考えてみれば、屋台では人集めの効果もさることながら、安全であるという証明のために、材料を客に見えるように表に出しておくのではなかろうか。とすれば魚介類や豚肉のような生物は具に出来ないのわけだ。さて、大では阪の屋台のお好み焼きはどういう具を使っているのだろうか?

拝殿のすぐ近くには中華餡餅と書かれた赤い屋台があった。これは餃子掲示板に書きます。
 

カレー南蛮  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月27日(日)19時48分37秒
  目的の店は目黒銀座商店街を更に歩き、商店街もそろそろ終わりという場所にある「朝松庵」。これがこの店のカレー南蛮蕎麦です。タマネギと豚肉。いかにも蕎麦屋さんのカレーです。元祖だから当然でしょうか。
 

LA CHINA  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月27日(日)19時39分1秒
  今日はカレー南蛮の元祖の店を訪れるため中目黒へ。
途中こんなおしゃれな店をみつけました。
「パティスリー シノワーズ ラ チャイナ」。
看板には、天津甘栗のモンブラン、フカヒレ入りシャンパンゼリー、マーラーカオのロールケーキ等のお菓子が。本場の素材と仏蘭西菓子のパティシエが作りだす世界をお楽しみください、だそうです。
 

訂正  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月19日(土)08時52分47秒
  レシートを見たら、行ったのは「安曇野 流通センター店」でした。↓は二段ざる 714円。  

権八  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月17日(木)02時37分40秒
  権八はもみじおろしとも言います。わんこそばには欠かせませんが、普通のざるやかけにも使います。「安曇野津志田店」は友人の話では10年くらい前に出来た店とのこと。しかししっかり権八が付いています。除けてありますが、お好みでわさびもどうぞということでした。
 

東京発盛岡のうまい店  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月14日(月)10時29分58秒
  昨夜盛岡に着きました。食べたのはもりしげの冷麺。「冷麺掲示板」に画像を貼り付けておきました。 実は先に行ったのはぴょんぴょん舎なんです。でも待ってる客が多すぎて断念しました。

盛岡でお奨めの店として、駅前の盛楼閣とぴょんぴょん舎の2店が良く挙がります。古い盛岡人にとって駅前は、東京人にとっての成田のように旅行の時に行く所なのですが、盛岡に来る有名人に対しては玄関になるわけですよね。下記は椎名誠の麺の甲子園というBLOGの記事です。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fblog.excite.co.jp%2Fmenreport%2F2413957%2F
椎名さんはこれまで盛楼閣とぴょんぴょん舎にしか行ったことが無かったようです。もちろんこの2店の冷麺もおいしいわけですから、椎名さんはこの2店の冷麺がうまいぞと今まで書いてくれていたようです。しかしそれを読んだ人の中には、この2店が、椎名さんが数ある盛岡の冷麺店の中から選んだお奨めの店として受け取ってしまった人もいるのではないでしょうか。盛岡にはおいしい店がほかにもたくさんあります。
 

岩手探検  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月13日(日)10時35分22秒
  遠野のジンギスカンは忘れていました。ジンギスカン史も炸醤麺、餃子、お好み焼き等とともに歴史を見直さねばと思います。これらはいずれも大本は中国にありますからね。

昨夜飲み過ぎたので寝坊してしまいましたが、そろそろ出かける準備をせねば。出来れば日本蕎麦の屋台である石鳥谷そばの画像、最低、現存するのは鳥取と岩手にだけになってしまったかもしれない権八の画像は撮ってこなきゃ。
 

ジンギスカンといえば  投稿者:Jubei  投稿日: 8月13日(日)01時54分33秒
  遠野がなぜか,生ラムのジンギスカンで有名ですよね。
しかも,東京で流行るかなり前からのようです。
別に羊を飼っているわけではなく,ほとんどは輸入のようですが。
生ラムと一口に言っても,部位?によっては固くて味もしないものもあります。
私個人は上生ラム(肩ロース?)が一番で,ついでプレスでしょうか。
去年札幌に行って,生ラムとプレスの両方を食べましたが,プレスの方が美味しかったです。地元の人に聞くと,東京で生ラムが流行り始めてから,札幌も生ラムを出すジンギスカン店が増えてきたということです。
ということで,東京で生ラムが廃れれば,札幌でも廃れるのではないでしょうか。
 

その他いろいろな例  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月12日(土)11時29分26秒
  方言周圏論を検索すると下記のページが出てきました。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.tabiken.com%2Fhistory%2Fdoc%2FQ%2FQ315R100.HTM
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.tabiken.com%2Fhistory%2Fdoc%2FI%2FI155L200.HTM
確かに「文化的中心地ほど保守的」だというのにあてはまる食べ物もあるでしょうね。

先日、北海道に早めの帰省をしてきた職場の友人と、大久保にジンギスカンを食べに行ってきました。彼は北海道でジンギスカンを食べてきたばかりなのにです。

彼は苫小牧の出身ですが、食べたのは札幌でとのこと。なじみの店に行ったら、生ラムというものが加わっていて、周りのテーブルでも半分くらいの客がそれらしき肉を焼いているのに気づいたそうです。ちょうどその日は羊肉が苦手という人も一緒だったそうで、いつもは丸いプレス肉のマトンを食べているのに、くせが無いという生ラムとはどんなものなのか試しに注文してみたんそうです。結局その羊が苦手な人は生ラムでも食べられず、本人は羊の風味が少ない生ラムを物足りない感じがしながら食べたんだそうです。不幸な話ですね。

そんな話を、丸くないけど冷凍のマトンをベルのタレにつけて食べながら、これはこの前の札幌よりうまい。これがジンギスカンだと喜ぶ友人から聞いたのです。来年行ったらまたみんなプレス肉に戻ってるのではないかと彼は言っていましたが、どうなるんでしょうね?

生ラムが拒否されたらジンギスカン文化の中心の札幌は保守的だし、定着したら他地方の流行に影響されて変化したというケースになるんでしょうね。また(そんなことはないでしょうけど)、札幌が生ラムに完全制覇されて大久保にマトンが残ったら、伝わった地方に本来のスタイルがそのまま残る例となるのでしょう。これは数年で結果が出そうな気がします。楽しみです。
 

食べ物周圏論  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月12日(土)10時45分16秒
  おお、HAMAN さん、下記「食べ物新日本奇行」でも活躍されてますね。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fweekend.nikkei.co.jp%2Fkiko%2F20040708sp778000_08.html
あまりにページ構成が複雑で、私はこれまであまり見ていなかったのですが、辛抱して見てみると興味深い情報が沢山載っていますね。

野瀬氏は、「当サイトは柳田國男の『方言周圏論』に似ていると言う方もおられるようであるが、それは違う。昔の京都の新語が長い時間をかけて地方に伝わった結果、京都を中心とする同心円状に同じような方言が残っているとする論が『方言周圏論』。だが、食べ物はそうはいかない。明石焼きの変容の様ひとつをとっても同心円ではないし、東日本型と西日本型という二類系の説明がつかない。仮に東京から有力な食べ物が発信されても全国に伝わるとは限らない。なぜならその食べ物に使う食材がどこにでもあるわけではないからである。 」と書かれています。野瀬氏のように地方の食べ物のことについて論じる人は、東西文化の違いや、土地土地の食材の違いの影響にだけ注目する人が圧倒的に多いのです。全部の食べ物がそうだとは私も思っていませんが、完全に同心円にならなくても、京や東京を中心にした東西南北の離れた場所に似たようなものが残っていて、それはもともとの京や東京の古い形態を残している、という物もあると思っています。

その一例が「せんべい」です。
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fweekend.nikkei.co.jp%2Fkiko%2F20060405su945000_05.html
上で野瀬氏自身が書かれてるように、もともと煎餅は日本に伝わった時点では小麦粉食品。それが後から江戸で米を使う塩煎餅が作られるて小麦粉煎餅にとって替わられたのです。そして、
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fweekend.nikkei.co.jp%2Fkiko%2Fnewmap%2F2006%2Findex.html
2006年春→せんべいは小麦?米?→詳しい地図を見る、とクリックしてやっとたどり着く全国の分布を見てください。見事に端のほうに小麦の地域がある。それなのに。野瀬氏は、「関西は小麦粉路線を守ったので、現在の日本には米系と小麦粉系のせんべいが併存する。東の米、西の小麦粉である。 」と、あくまでも東日本型と西日本型という分類にこだわる。そう解釈すれば関西人の粉物好きという通説とも矛盾がないですからね。でも地図を良くみると京都大阪はコメ制覇じゃないですか。小麦完全制覇なのは沖縄、鳥取、徳島。小麦優勢は佐賀、長崎、宮崎、大分、そして青森、岩手です。私が他の食べ物でも注目している地域が多く含まれています。
 

ありがとうございました  投稿者:Jubei  投稿日: 8月 8日(火)22時15分32秒
  関西のお好み焼きが一銭洋食の流れであること,広島のお好み焼きが戦後の原爆からの復興の中で出てきたものであることは聞きかじっていましたが,もんじゃ焼き,どんどん焼き,フライ,薄焼きの相関関係がよく分からなかったのです。

盛岡はおそらく,伝わったままのスタイルで残ったのですね。
北上のどんど焼きも重ね焼きタイプでした。
それと,箸焼きは,盛岡の縁日でも出ますが,おそらく,渡りのテキ屋さんが出しているものと思われます。

発祥の地では進化するというのはそのとおりで,池波氏のエッセイにも,氏が考案した(当時小学生である)どんどん焼きが,屋台のメニューに取り入れられたことなどが書かれています。ちなみに,氏が自ら作るどんどん焼きの写真は,「むかしの味」(新潮社)に載っていますが,かなり自由度が高いもので,焼きそばや鉄板焼きも含めて,鉄板で作るものをすべてどんどん焼きと呼んでいるようです。
そういえば,江戸人の池波氏が,大阪人の司馬遼太郎の家に訪れて,どんどん焼きを作ったことがあるそうで(「剣客商売読本」(新潮社)),そのときの二人の顔を見てみたい・・・。
 

すばらしい  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月 8日(火)12時59分44秒
  HAMANさん、良いページを紹介してくださりありがとうございます。

特に「お好み焼き進化の過程」
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.kaishoku.com%2Fjimono%2Fokonomi2.htm
に書かれている「発祥の地では試行錯誤が繰り返され、進化が促されるが、その文化が単に伝わっただけの地域では、伝わったままのスタイルがそのまま残っていたりするのだ。」という考察は、広島県内各地のお好み焼きの特徴の調査と1950年前後からの変遷との比較から導かれたものですから極めて説得力のあるものですね。地方の食べ物の歴史について書かれたものを読むと「その地方の好みにあわせて独自の進化を遂げた」と書かれてることが殆どで、シャオヘイさんのような考え方の出来るかたは非常に少ない。私もいくつかの食べ物でそれが当てはまると信じています。

ただ、目を日本全体に広げると、「1950年前後から東新天地公園に『一銭洋食』の屋台が出現し始める。」の時点では
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.ikayaki.com%2Frekishi.html
によれば、大阪でもあらかじめ混ぜるタイプではなかったとしているように。最初のアプローチの違いでは無く、1950年以降の大阪と広島の工夫の仕方の違いとみたほうがいいと思います。

お好み焼きの歴史は焼き餃子の歴史を知る上でも重要だと思っていますので、これからも情報提供をお願いします。
 

広島のお好み焼の歴史  投稿者:HAMAN  投稿日: 8月 8日(火)08時31分18秒
  お好み焼の歴史に関しては「快食com」のシャオヘイさんが
かなり詳しく書かれているページがあります。
現在のお好み焼だけを見ても解らない事が書かれているのが興味深いです。

http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.kaishoku.com%2Fjimono%2Fjimono.htm
 

お好み焼きの進化  投稿者:ジミー荒川  投稿日: 8月 8日(火)01時18分41秒
  Jubei さん、北上には「どんど焼き」がありましたか。下記サイトなどのお好み焼きの歴史をみると、
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.ikayaki.com%2Frekishi.html
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.botejyu.co.jp%2Fbotejyu%2Fkigen.html
http://8143.teacup.com/jimmy/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.kuidaore-osaka.com%2F2top%2Fdeep%2F05_himitu%2F0010_06.html
もとは薄くて、葱や鰹節のような質素な具を載せていたものが、大阪ではあらかじめ生地に混ぜる方法で、広島では薄焼きの間に入れる方法で豪華な具のものに進化しているようです。盛岡のものは昔の姿を残しているものと思います。3番目のサイトでも池波正太郎のエッセイのどんどん焼きがでていますが、それは重ね焼きですか混ぜ焼きですか?その右に書いている現代の関東風の特徴では混ぜ焼きとしていますが、蒲田八幡神社では重ね焼きでした。

ここ数年で画像の情報が増えました。全国にはどんどん焼きとか箸巻きとかという名の似ているものがあるようです。こんどチャンスがあったら画像の投稿もお願いします。
 

薄焼き再考  投稿者:Jubei  投稿日: 8月 8日(火)00時14分51秒
  最近では,盛岡名物などといわれている薄焼きお好み焼きですが,昨日,北上の地元商店街のお祭りに行ったら,似たようなものが「どんど焼き」の名前で売っていました。
どんど焼きは,池波正太郎のエッセイによく出てくるものですが,文と写真から想像するところでは,似ているような,似ていないような。
また,関東の駄菓子屋で出す「フライ」と呼ばれるものも,イメージ的には似ているし。
盛岡薄焼きのルーツってご存じですか?
 

geminizz@hamakko.or.jp

荒川文治(あらかわ ふみはる)
神奈川県横浜市

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